2016年2月22日月曜日

第6回 比べない022−027

今回からテキスト第二章に入ります。
本章のテーマは、「比べない」です。

人間は、他と比べることによって、自分の位置を知ったり、ものの価値を判断したりします。比べるということは、とっても便利で分かりやすいことです。

ところが、その「比べる」が引き起こす、「自我への執着」が、まさしく、不幸への入り口だとブッダは言います。



後半は、宗教に関してのちょっと基礎的な知識も話しました。


















2 件のコメント:

  1. こんばんは。はるはる母です。

    毎朝の放送、ありがとうございます。

    ブッダクラスのテキストの著者・小池龍之介さんの鎌倉のお寺で行われている瞑想に1/23.30と二回いってきました。それまでもブッダクラスのテキストでハッとしたことが多く、その後小池氏や他の原始仏教についての書籍を読んできました。それだけでもずいぶんと楽になってきましたが、瞑想するといかに自分の作り出した妄想によって自分がコントロールされているかに気が付かされました。これまでの50数年間、ずっと妄想に踊らされ続けてきたんだなぁとため息です(もちろん今でも踊らされていますが、気がつくことができるようになってきました)

    塾超先生がブッダクラスを開講したこと、毎朝の放送で瞑想を行う意味が今になってわかってきました。小学生、中学生、高校生でこの感覚をつけたKJの生徒さんたち、今後人生を生き抜く上でどんなに違いをもたらすことでしょうか。

    過日「一寸先は闇」から「90%いいこと」にシフトできたメールをいたしましたが、今回は原始仏教の存在を教えていただいたことへの大きな感謝です。

    KJとの出会いは娘にとってはもちろんのこと、私にとっては娘以上にありがたく価値のあることです。

    返信削除
  2. 河原塾超先生

    こんにちは。いつもありがとうございます。

    今日も小池住職の仏道のお稽古に行ってきました。

    座禅セッションがはじまる前に住職から30分ほどの説法があります。今日は「執着と平常心」についてのものでした。

    住職の中学か高校時代の数学のテストの話しから始まりました。
    計算問題など簡単に解ける問題はなんのストレスも表面上は感じずにスラスラ解いていったそうですが、わからない問題にあたった時に、解かなくてはならないと、思い出そうとすればするほど、胃のあたりがキリキリしだし、ストレスを感じたそうです。これが執着からくる苦しみ。

    そういう問題にあたったら、執着せずに一度「捨」すること。そうすれば平常心に戻りストレスから解放されて、しばらくたってから自然と思い出すことになる。

    また、表面上はストレスを感じずにと言ってましたが、やはりテストでは何点とるぞという執着があるから、身体のどこかにはストレスがかかっていただろうということ。とはいっても、今の中高生は学校から何点とらなければという目標を与えられるので、執着せずにはいられない。

    メモをとっていないのでうまくまとめられませんが、上のようなことをお話して下さり、まるで塾超のお話を聞いているようでした。

    今日の説法は今月末には来週の説法と合わせてサイト上で自由にダウンロードできるようになると思います。その時はまたメールいたします。

    はるはる母

    返信削除